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2005年 07月 03日
忙しい、忙しいといいながら、半徹夜あけに、知人が企画した、「おーまきちまき」さんのコンサートに行って来た。メイシアターは久しぶりだったがそこの小ホールがよかった!
富田林のすばるホールでも、小ホールをつくってあるのだがまったく違う・・・。 芸術に対する姿勢や理解が全く違う事がわかるよなあ・・・と思いつつ。 コンサートの内容はもちろん!!! 音響もよく曲はもちろん!ギターの「のむらあき」さんのトークとギターテクニックにもいつもながら感嘆!!! のむらさんは教え方もすごく上手くて感心する。自分も上手くて人にもちゃんと教えられる人は実は少ないように思う。 今回のコンサートには寿さんと言う方も出演してくださったのだが、こちらとも旧知の間柄ではあったのだがより素敵さがよりわかった感じがした。 こんなに美人だったっけ?と思った事を正直に告白します。(笑) 観客も遠くは石川県からおいで下さった方たちもおられ、旧知の方々との交歓もでき、いい時間を過ごさせていただいた。 たまにはこんな事もないとね!(笑) #
by yuispace
| 2005-07-03 18:24
2005年 06月 24日
私がかかわっている子の一人にいじめからPTSDを発症していると思われる子がいる。
詳細はプライバシーがあるので書かないが、教師たちの無神経さに怒りを通り越して恐怖を感じている。 教師、いや人間、それも大の大人がここまで子どもの状態に鈍感でいられるとは正直信じたくない・・・。 週に1回1時間余対応しているだけの私でも、その子の様子、返ってくる反応、使う言葉などで今まで彼がどんな経験をして来たかがわかる。 毎日そばにいた教師になぜそれがわからないのか? わかっていればなぜ学校生活のビデオを突然見せて感想文をかけ!などと言えるのか? 1週間ぶりに会ったその子のやつれようの異常さは・・・。 後で親に聞いたら食事を受けつけなくなっていたという。 障害を持っているとはいえ、いや持っているからか、本来は人間好きなやさしい子である。 その子がなぜいじめを受けなければならないのか? その子をいじめてきた子ども達もいわば教師の被害者である。 なにが正しい行為であるかを教えられずに育っているのだから。 障害を理解させる努力もせず、いやその前に自分自身受け持ったその子の障害をそもそも理解する気もなかった教師集団を果たして教師といえるのか??? 学校さえ卒業してしまえばもう責任はないのであろうか? 被害者の子に対してはもちろん、加害者側とされた子ども達のその後の生き方にどれほどの悪影響を及ぼすかを考えないのであろうか? その責任をとる気がないのなら教師などやっているべきではない!管理者である校長、教頭ももちろんである! 子どもをそんなにもおろそかにする場所になってしまっている事の自覚を多くの責任ある立場の人間が持って欲しい、改革して欲しいと泣く思いで願っている。 願っていてもどうにもならないのもすでにわかっているので、もちろん行動し、理解を求めて行くつもりではあるが・・・。 「言わなわからんか?おまえら!!!」情けない!!!!!!!!!!!!!!!!! #
by yuispace
| 2005-06-24 16:15
2005年 06月 19日
今日はとうもろこしの畦の草引きをしました。今年はじゃがいもがサンプラの被害を防げず完敗・・・。はじめてジャガイモを買うことになりそうです。(恥)
草を引きながら、手は忙しくても頭は暇?だったので、いろんな事を考えていたのですが「子どもを育てると言うのも一緒だよなあ」とあらためて確認したというか??? まず土を作る事が大切(自らを振りかえると・・・)、芽が出てすぐに濃い肥えをやるとだめ(早期教育)、とか、目は充分に配って、病気や無視の被害を受けていないか気をつけるけど、触り過ぎない(過保護がだめ)、とか。 風が強い場所では倒れないように支柱をとか、作物の種類によって必要な、畦巾、高さ、水はけの具合、日照の具合も違う。地域によって植える時期、収穫の時期も違ってくる。 経験も大切、助言ももらいながら倦まず弛まず・・・。 子どもは大きくなっても食べられないけど。(爆) 大人になる前に農業実習を少なくとも2年やることを義務にしたらいいのに!と思ったみかんでした!朝顔よりおいも!なんちゃって!!!(笑) 学校の備品?に畑を!!! へん?な総合なんとかよりこっちの方がよっぽど有効かも。 #
by yuispace
| 2005-06-19 20:11
2005年 06月 17日
うちだけでなく、近隣では河内長野、大阪狭山、藤井寺にも親の会がある。
子どもが20歳以上になった親の会というのも有るし、親の会でいろんなイベントをして居る所もある。大阪では「学校に行かない子と親の会・大阪」と言うのがあって、ココナッツ通信という会報も出している。 http://www.geocities.jp/ccnts_cow/ 会報と言えば「不登校新聞」という新聞のある事をご存知ですか? ↓不登校をしている子どもを持つ人だけでなく教育関係者にはぜひ読んでいただきたい情報が満載。 http://www.futoko.org/about_fonte/ 先生方が読まれたらきっと気が楽になるんじゃないかな? どうしていいかわからないで苦しんでいる先生方の助けになると思います。 教育委員会なんかにはぜひ購読していただきたいと思います。 で、本題の親の会。 何をしているのかがわからないと入りにくいよね! 話したい人は話し、聞きたい人は聞き。それだけ。(笑) 他の親の会もそんな感じ!かな。 親の会に参加しての感想を聞くと多くの人が「すごく気持ちが楽になった」「自分ちだけが苦しんでいるんじゃないとわかった」「子どもに対して違う見方を教えてもらえた」なんかが多い。 来た時とは違いみんな明るくなって帰って行かれる事が多い。 だって犯罪者のように言われていたのがなんだ私達は被害者なんだってわかるから。 法律を破ったわけじゃない、誰に迷惑をかけたわけでもないのに、その扱われ方は犯罪者並といっていい場合が多い。 実際、総務省のいわゆる個人情報保護に関するサイトを見ていたら、非行少年と不登校児は保護の対象から外れている。 なぜそんな事になるのか?! 人権侵害もはなはだしい扱いをなぜ受けなければならないのか? 筋と通った説明をいただきたいと正直思う。 時間とお金があったら訴訟でもしたい所だが、残念ながらそのどちらもを持たない。 今の日本には子どもの人権を守るべき国の機関がないのだ!!! いわゆる子どもの権利条約が発効されてすでに10年が経つのにもかかわらず!!!(怒) 「子どもオンブズパーソン」を早く作ってくださ~い!!! いかん!いかん!また本題から離れてしまった・・・。 うちの場合は親の会には当事者しか入れない。 不登校を知りたいと言う専門家?関係者はご遠慮頂いている。 だから誰にも遠慮せず話せるのだ。 つい先日も「自分は子どもにこんなひどい事をしてしまった」と涙ながらに話されたお母様がいらしたが、なに、多くの親は同じ事をやってしまっているのだ・・・。 親や子どもがそこまで追い詰められるのだと言う事を、多くの知っていなければならない人間が知らない! 今、私が参加している団体に「大阪府の不登校対策を考える市民連絡会」というものがある。 http://www.geocities.jp/futoko_osaka/ ぜひ見ていただきたいと思う。 その中に「当事者の声」というのがある。 実際にいかに多くの人間がどれほど苦しんでいるか、ぜひ知っていただきたいと思う。 もし、実際の話しを聞きたい方は、お金を払って私に聞きに来て下さい。(笑) お呼びいただけたらどこにでも伺いますし。 何ヶ月か前も、ある学校でお話させていただいたが、非常に有意義な意見交換ができたと言っていただいた。私も色々な事を確認できて有意義だったのだが、こんな進んだ?学校は少ない。 で、どうしたらいいかわからないまま不幸の再生産をして下さっているのだ・・・。 以前かかわったひどい家庭内暴力のケースでは幸い所属していた学校が理解のある学校だったため、第三者である私との話し合いに応じてくださり、同一歩調で取り組む事ができ、ほどなく暴力もまったくなくなり、いい結果を出す事ができた。残念ながらこういうケースは少ない。 保護者に頼まれて学校にうかがうこともあるが、なかなか話す事自体が出来ないことも多い。 話しが出来た!と思ったら、ある小学校の校長先生は後で教育委員会に対し「私に脅された!」とおっしゃったそうである・・・。(苦笑) 自分の名誉のためにいうがもちろん脅しなどはしていない。 あちらは男三人私はかよわい?女である。(一応?) 話しの期限とけじめはつけさせていただいたきはしたが。 問題を感情論でお終いにするほど意味のないことはない。 いじめにどう対処するかは、ただの感情論ではどうにもならないと言う事を知らない。 心理学的、法的、教育学的見地からの「子どもに負けないスキル」を自分に積むしかないのである。ただそれをお願いしただけ・・・。(笑) 聞きたい方はいつでもご連絡をください!いじめの解決法をお教えいたします。 いじめにかんしてはいずれここにも書きたいと思っているのですが、発生事態を止める事は誰にもできないにしても、起こったいじめをいかに早く発見し解消するか?はこちらにどれだけの実力があるかが問われます。そのためのあの手この手をお教えします。 これはここには書けませんから。手のうちをみられては・・・。(笑) さて、とにもかくにも、子どもが大切! だって、子どもは私達の「未来」そのものですから!違いますか? #
by yuispace
| 2005-06-17 19:15
2005年 06月 14日
先日有る場所で以前からの知り合いの現役教師の人が「もう学校はいらないと思う」と発言した。私でさえ?そこまでは思っていなかったのだが・・・。
現実に、今の学校で子どもは何を学んでいるか?を考えると心が寒くなるような思いがあるのは事実だ。教科学習はひとまず置き、よく学校が言う所の「集団生活」「適応能力」を学ぶという意味において果たして内実はどうか? 集団としてどう機能するか?何に適応するかを問題としなければならないと私は思うのだが。 集団暴徒化では意味ないし、問答無用、人権無視の状態に適応して欲しくもないのだが、実際の学校生活は残念ながら「社会」としてはまともでない所も多い。 運動クラブが体罰やいじめの温床、昔の軍隊のような上下関係の中で、本当にスポーツが好きな子が次々と辞めざるをえなかったり、中学では内申書を気にしてやめる事も出来ぬまま死ぬ思いをしている子もいる。 クラスの人間関係も人も顔色を見て話す内容も人と違わないように気を使い、持ち物はもちろん、昼食の時間に一人で食べることが出来ないで、抜く子も多い。 グループから何らかの原因で外れたら、いじめの標的にされたり、教師から不適応な人間!とレッテルを貼られ、自分になんの責任もないのに責めつづけられる子どももいる。 逆から見れば教師の前ではどんな子に対してもいい顔をしなくてはならないためにストレスを感じ、陰でいじめることなどは日常茶飯事。 一人が好きで何が悪い!と私などは思うのだがそういう論理は学校では通用しないらしい。 なにがなんでもグループを作りたいのはたんに教師が便利だと言うだけではないか?と私は思うのだが、その事でいかに多くの子が悩んでいるかは驚くほどである。 小1で「親友が出来ない」と悩む親子もまれではない。 すでに何十年前からそれは始まっている。 学校が人間関係を「友達」だけにしたがるのはなぜなのであろうか? 人権とはまず一人一人の人間は違う!と言う事から始まらなくてどうする!と思うのはおかしいのであろうか? 強制される友達関係からなにか良いものが産まれるとは考えにくい。 人には相性と言う物があるし、それが変化してゆくこともある。 嫌い!合わない!場合は「通り一遍」の付き合い方が有るのだからそれを教える、認める所から集団も適応も始まると私は思うのだが・・・。 「知人」「友人」「親友」、「路傍の人」「親族」「仕事上の付き合い」「近所」などなど。 人間の距離にはいろんなものがある。 子どもにだってそれを認めて何が悪い! 友達100人なんて付き合いの広い私でさえ99人しかいないぞ!と思う。(苦笑) 究極、たった一人、いたらいい!と思うのだが・・・。 今、多くの大人の想像以上に学校ではいじめ、暴力が蔓延している。 その原因の多くがこう言う大人の押しつけが生んでいるのだと私は思っている。 人を信じる事も出来ず、自己肯定感を押さえられ、自分の感情の表し方も知らず、そう言う人間を増産しているのが今の学校だというのは言いすぎであろうか? 学校へ行っていないからって家でも公園でも、友達と遊べなくなるのはおかしいでしょ? 先生や親に言われて突然「学校で遊ぼう!」と言わされる側の子どもの気持ちを考えると泣きたくなる! 学校へ行かない事を認められてすごす事の出来た子ども達のその後を知るにつけ、学校へ行く事の意味をもう1度大人が確認しなければならない時期がすでに来ていると思う。 子どもの将来、ひいては社会の健全な成長のために必要なものは「今のような」」学校ではない!!!と確信する。 今の学校がどんなものになっているかを見て、知って、欲しい。 今後、学校がどうあるべきかを考える事のない不登校対策は多くの学校へ行かない子どもを傷つけると同時に、今、学校へ行っている子達を追い詰めている事を知って欲しいと切に願うものである。 お金や自由時間が有って、どんな教育もほかで受けさせられる事のできる一部の人達はともかく、そうでない多くの人にとって、選択できる余地のない今の学校制度は子ども達のいろいろな権利を奪っている事を、責任ある立場の人間は早く認めていただきたい。 もうすでに手遅れではない事を祈りつつ…。 #
by yuispace
| 2005-06-14 18:55
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